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消えたメロディ – 桜木龍也、失踪ミュージシャンを追って

目次

1. 消えた音色 ― 探偵事務所に舞い込む不思議な依頼

梅雨明けの蒸し暑い午後、探偵事務所「桜木調査室」の扉が静かに開かれた。入ってきたのは、60代後半と思われる女性だった。深い皺の刻まれた顔に、悲しみの色が浮かんでいる。

「いらっしゃいませ」桜木龍也が穏やかな声で迎え入れる。「どのようなご用件でしょうか」

女性は震える手で一枚の写真を差し出した。「夫を…夫を探して欲しいのです」

桜木は写真を受け取り、目を凝らした。そこには、ギターを抱えた笑顔の男性が写っていた。その姿に見覚えがあり、桜木は思わず声を漏らした。

「この方は…田中誠一さんではありませんか?」

女性は驚いたように桜木を見た。「ええ、そうです。私は妻の玲子です。まさか、ご存じだったとは…」

桜木は静かに頷いた。「若い頃、よくライブを聴きに行っていました。素晴らしい音楽でした」

玲子の目に涙が浮かんだ。「そうですか…誠一は一週間前から行方がわからないんです」

桜木は真剣な表情で玲子を見つめた。「詳しくお聞かせください」

玲子は深呼吸をして話し始めた。誠一は70歳。5年前に引退していたが、最近、認知症の症状が現れ始めていた。そして一週間前、大切にしていたギターと、ある程度の現金を持って外出したまま戻らなくなった。

「警察にも相談したのですが、積極的に動いてくれなくて…」玲子の声が震えた。

「持病などはありますか?」桜木が尋ねると、玲子は頷いた。

「はい、糖尿病です。薬を持たずに出てしまったので、それも心配で…」

桜木は深く考え込んだ。「わかりました。お引き受けいたします」

2. 失われた音符 ― 若き日の桜木と音楽の出会い

玲子が帰った後、桜木は窓の外を見つめた。雨雲が広がり始めていた。

30年前、高校2年生だった桜木は、両親の離婚と転校を経験し、新しい環境に馴染めずにいた。クラスメイトとの会話も少なく、放課後はいつも一人で過ごしていた。

ある秋の夕暮れ、いつもと同じように一人で帰宅する途中、商店街から聞こえてきた音色に足を止めた。澄んだギターの音と力強い歌声。その音に導かれるように、桜木は人だかりに近づいた。

そこで目にしたのは、路上で熱唱する田中誠一の姿だった。夕陽を背に、アコースティックギターを抱えたその姿に、桜木は魅了された。

「すみません、田中さんですよね?」桜木は恐る恐る声をかけた。

誠一は優しく微笑んだ。「ああ、そうだよ。君、学生さん?音楽好きかい?」

それ以来、桜木は音楽に魅了された。誠一のライブに足を運び、自らもギターを手に取った。音楽は、孤独だった桜木の心を癒し、新しい世界を開いてくれた。

クラスで音楽の話題が出た時、桜木は勇気を出して田中誠一のライブのことを話した。すると、同じように音楽好きだったクラスメイトの山田と親しくなり、一緒にギターを練習するようになった。

「桜木、今度の文化祭で一緒にバンド組まない?」ある日、山田が声をかけてきた。

初めは戸惑ったものの、桜木は小さく頷いた。音楽は桜木に、人とつながる喜びと自己表現の楽しさを教えてくれただけでなく、新しい友情のきっかけも与えてくれたのだ。

文化祭でのバンド演奏は大成功を収め、桜木たちは学内で一躍人気者となった。その後も活動を続け、地元のライブハウスで演奏する機会も増えていった。桜木は音楽の中に自分の居場所を見つけ、将来はミュージシャンになることを夢見るようになっていた。

高校卒業後、桜木はバンド活動に専念することを決意。昼間はアルバイトをしながら、夜はライブハウスを転々と渡り歩いた。その姿は、かつての田中誠一を彷彿とさせるものだった。

しかし、桜木の音楽への情熱は、ある事件をきっかけに突如として途切れることになる。

目を開けた桜木の表情には、懐かしさと共に、何か後悔の色が浮かんでいた。

3. 記憶の断片 ― 消えた音楽家を追って

桜木は捜査を開始した。まず、玲子から得た情報を整理し、警察の捜査状況を確認した。しかし、決定的な手がかりは見つかっていなかった。

次に桜木は、自身のかつての音楽仲間とのつながりを活用することを思いついた。SNS上で誠一のファングループを見つけ、そこで情報収集を始めた。

「○○駅前でギターを持った老人を見かけた」「△△公園でぼんやりと佇む男性がいた」など、断片的ではあるが、誠一の足取りを示唆する情報がいくつか寄せられた。

これらの情報を地図上にプロットしていくと、ある傾向が見えてきた。誠一は、かつて自身がよく演奏していた場所を巡っているようだった。

桜木は、これらの目撃情報に基づいて現地調査を開始した。各地点を丹念に調べ上げ、地域の住民や店主たちにも聞き込みを行った。

「認知症を抱える誠一さんは、おそらく昔の記憶を頼りに動いているのでしょう」桜木は推測した。

時間との戦いだった。糖尿病の治療が中断されていること、そして寒さが厳しくなる季節が近づいていることを考えると、一刻も早く見つけ出す必要がある。

桜木は立ち上がり、外に出た。雨がぽつぽつと降り始めていた。彼は傘を差しながら、誠一が歩いたであろう道をたどり始めた。

かつての音楽仲間や地域の古くからの住民たちに話を聞きながら、桜木は少しずつ誠一の足跡を追っていった。彼は誠一の音楽キャリアを知る者として、彼にとって特別な意味を持つ場所を一つずつ確認していった。

そして、ある場所にたどり着いた時、桜木は息を呑んだ。

そこには、ギターを抱えたまま、ぼんやりと佇む老人の姿があった。

4. 失われた旋律を求めて ― 記憶の迷宮で

雨脚が強くなり、周囲の喧噪が遠ざかっていく。桜木は深呼吸をし、ゆっくりと誠一に近づいていった。

「田中さん…」

桜木の呼びかけに、老人はゆっくりと顔を上げた。その目には、かつての輝きは見られなかったが、どこか懐かしさを感じさせる温かみがあった。

誠一は桜木をじっと見つめ、かすれた声で言った。「君は…誰かな?」

その瞬間、桜木の脳裏に、30年前の記憶が鮮明によみがえった。初めて誠一のライブを見た日、音楽に魅了された瞬間、そして…自分が探偵の道を選ぶきっかけとなったある出来事。

桜木は、目の前の誠一と、記憶の中の誠一を重ね合わせながら、静かに口を開いた。

「私は桜木です。昔、よくあなたの音楽を聴いていました。そして今、あなたを家に帰るお手伝いをしに来ました」

誠一の目に、わずかな認識の色が浮かんだ。「家…か。どこだったかな、私の家は」

桜木は優しく微笑んだ。「一緒に探しましょう、田中さん。あなたの音楽が、きっと道しるべになってくれるはずです」

5. 過去との和解 ― 桜木のバンド時代

二人は近くの喫茶店に入り、雨宿りがてら話を続けた。

「君の人生を変えたって?」誠一が尋ねた。「どんな風に?」

桜木は深呼吸をして、自分の過去を語り始めた。両親の離婚、転校、そして音楽との出会い。誠一の音楽に影響を受け、自らもバンドを組んだこと。

「でも、あるとき…」桜木の表情が曇った。「バンドのメンバーが窃盗の疑いをかけられて、バンドが活動停止になってしまったんです」

誠一は静かに聞いていた。「それで音楽を諦めたのかい?」

桜木はうなずいた。「真相を突き止められなかった自分が情けなくて…それで探偵になろうと思ったんです」

「でも、君は音楽を完全に捨てたわけじゃないんだろう?」誠一が優しく問いかけた。

桜木は驚いて誠一を見た。「どうして…」

「君の目だよ」誠一が笑った。「音楽を愛する人の目は特別なんだ。君の目は今も輝いている」

その言葉に、桜木の中で何かが解き放たれる感覚があった。

6. 家路 ― 新たな調べ

雨が上がり、二人は再び歩き始めた。誠一の記憶は断片的で、現在地がどこなのかも把握できていないようだった。

桜木はGPSで現在地を確認した。彼らがいるのは、誠一の自宅がある地域から電車で2時間以上もかかる場所だった。誠一がどのようにしてここまで来たのか、謎だった。

「田中さん、少し遠出をしてしまったようですね」桜木は優しく説明した。「電車に乗って戻りましょう」

車窓の風景が徐々に見慣れたものに変わっていく中、桜木は誠一の表情を静かに観察していた。長い沈黙と、時折漏れる誠一の混乱した呟き。それらが幾度となく繰り返された後、ようやく列車はスピードを緩め始めた。

「田中さん、もうすぐですよ」桜木が優しく声をかけると、誠一は我に返ったように顔を上げた。

駅のアナウンスが流れ、ドアが開く。プラットフォームに降り立った瞬間、誠一の目に僅かな認識の色が宿った。夕暮れ時の柔らかな光の中、懐かしい街並みが二人を出迎えていた。

「ここは…」誠一が小さく呟いた。「何か…思い出しそうな…」

桜木は心の中で安堵のため息をついた。長く、そして決して平坦ではなかった旅路の終わりが、ようやく見えてきたのだ。

彼らが歩いていると、遠くから人影が近づいてきた。

「誠一!」玲子の声が響いた。

誠一は声のする方を向き、その目に涙が光った。「玲子…ただいま」

玲子は誠一に駆け寄り、強く抱きしめた。「おかえりなさい。心配したのよ」

桜木は少し離れたところから、この再会の場面を見守った。長い旅を経て、ようやく誠一は家族のもとに帰り着いたのだ。

7. 響き合う心 ― 感謝の手紙

それから1ヶ月後、桜木の事務所に一通の手紙が届いた。

差出人は田中誠一。手紙には、誠一が小規模なライブを再開したこと、そして記憶障害と向き合いながらも、音楽療法を始めたことが綴られていた。

「桜木さん、あなたのおかげで、私は再び音楽と向き合う勇気を得ました。記憶との戦いは続いていますが、音楽が私の道しるべになっています。妻と共に、一日一日を大切に生きています。

そして、驚くべきことに、私の音楽が若い世代にも響いているのです。先日のライブには、昔のファンだけでなく、多くの若者も来てくれました。彼らは『記憶と闘いながら音楽を続ける姿に勇気をもらった』と言ってくれたのです。

桜木さん、あなたは単に私を見つけ出しただけでなく、私の人生に新たな意味を与えてくれました。そして、あなた自身の音楽への思いも思い出させてくれたのではないでしょうか。心からの感謝を込めて。」

手紙を読み終えた桜木の目に、涙が光った。彼は立ち上がり、棚に手を伸ばした。そこには、長い間しまい込んでいたギターがあった。

桜木はギターを手に取り、優しく弦を掻き鳴らした。かつて夢見た音楽の世界が、今、別の形で彼の前に広がっていた。

探偵としての鋭い洞察力と、音楽がもたらす感性の融合。それは、桜木の新たな武器となった。そして、人々の人生に寄り添い、失われたものを取り戻す手助けをすること。それこそが、自分の真の使命なのだと、桜木は確信したのだった。

(完)

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