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仕事中毒夫と寂しがり屋妻 ― 浮気調査が繋いだ絆

仕事中毒夫と寂しがり屋妻 ― 浮気調査が繋いだ絆

目次

1. 残業続きの日々に潜む不安 ― 探偵事務所の扉を叩く日

梅雨の晴れ間、探偵事務所「桜木調査室」の扉が重々しく開いた。

「お待たせしました、山田様。桜木龍也です」

五十代半ばの男性が、疲れた表情の山田健一を迎え入れた。温かみのある声と、落ち着いた雰囲気が、来訪者の緊張を和らげる。

「どうぞ、お座りください」

健一は重々しく椅子に腰を下ろした。桜木は相手の表情を読み取りながら、ゆっくりと話を切り出した。

「奥様のことで、ご心配なことがおありとか」

健一は深いため息をついた。「はい…妻の美咲のことです。最近、様子がおかしくて…」

桜木は静かに頷きながら、健一の話に耳を傾けた。健一の言葉には、不安と自責の念が滲んでいた。

「具体的に、どのような変化がありましたか?」桜木は穏やかに尋ねた。

健一は僅かに躊躇したが、やがて言葉を紡ぎ始めた。「まず、スマートフォンを見る時間が急に増えたんです。しかも、画面を私に見られないよう、妙に警戒している様子で…」

「なるほど」桜木は頷きながらメモを取った。「他には?」

「休日に『友達と会う』と言って出かける頻度が増えました。それも、いつもより着飾って…」健一は言葉を詰まらせた。「そして…」

「はい、どうぞ続けてください」桜木は優しく促した。

「先日、同僚が妻らしき人を見かけたと言うんです。場所は会社から遠く離れた繁華街で。しかも…」健一は一瞬言葉を濁したが、意を決して続けた。「見知らぬ男性と腕を組んで歩いていたそうです」

桜木の表情が僅かに引き締まった。「そうですか。確かに、気になる状況ですね」

健一は俯いた。「私の仕事中毒が原因なのではないかと…家事や育児を妻任せにしてきたことへの後悔の念に駆られています」

桜木は健一の肩に軽く手を置いた。「自責は問題解決の妨げになることもあります。まずは冷静に事実を確認することが大切です」

「でも、どうすれば…」

「山田様」桜木は真剣な眼差しで健一を見つめた。「浮気の証拠を掴むことは簡単です。しかし、それで問題が解決するわけではありません。むしろ、関係修復の可能性を潰してしまうかもしれない」

健一は困惑した表情を浮かべた。「どういうことですか?」

桜木は深く息を吐いた。「私の経験上、多くの場合、浮気の背景には夫婦間のコミュニケーション不足があります。証拠を突きつけて追及するよりも、まずは対話を試みることをお勧めします」

健一は黙って聞いていた。

「私からの提案があります」桜木は続けた。「まず、奥様との対話を試みてはどうでしょうか。直接聞くのが難しければ、私が仲介役となることもできます」

健一は躊躇した。「でも、美咲が嘘をついたら…」

「嘘を見破るのも、私の仕事です」桜木は軽く微笑んだ。「ただし、それは最後の手段です。まずは信頼関係の回復を目指しましょう」

桜木の言葉に、健一の目に光が戻った。

「わかりました。そうですね、まずは話し合いから始めてみます」

桜木は満足げに頷いた。「良い決断です。ではまず、奥様にお会いする約束を取り付けましょう」

2. 胸の内の モヤモヤ整理中 ― 揺れる夫の心

健一はうなずき、事務所を後にした。しかし、その胸の内は複雑な思いで渦巻いていた。

帰り道、健一は重い足取りで歩いていた。雨上がりの湿った空気が、彼の憂鬱な気分をさらに重くしているようだった。

「美咲…本当に大丈夫なのか」

彼は心の中でつぶやいた。事務所を出てからというもの、様々な思いが彼の中で交錯していた。

その夜、健一は眠れずにいた。ベッドに横たわり、天井を見つめながら、過去の記憶が走馬灯のように駆け巡る。

結婚したばかりの頃の美咲の笑顔。一緒に過ごした休日の温かな記憶。そして、徐々に疎遠になっていく二人の姿。

「どこで間違えてしまったんだ…」

健一は枕に顔を埋めた。胸の奥が痛むような感覚に襲われる。

翌日、会社でも健一は集中できずにいた。重要な会議中も、美咲のことが頭から離れなかった。

「山田さん、大丈夫ですか?」 同僚の心配そうな声に、はっとして我に返る。 「ああ、すまない。少し考え事をしていて…」

昼食時、健一は一人で会社の屋上に上がった。都会の喧騒を見下ろしながら、彼は深いため息をついた。

ポケットから結婚指輪を取り出す。最近、仕事中は外すことが多くなっていた。指輪を掌に載せ、じっと見つめる。

「俺たちの誓いは、まだ生きているのか…」

その瞬間、携帯電話が鳴った。画面を見ると、美咲からのメッセージだった。 「今週末、話し合いの場を持ちたいです。桜木さんにも立ち会ってもらいます」

健一は深呼吸をした。返信を送るまでに、しばらくの時間がかかった。 「わかりました。時間と場所を教えてください」

送信ボタンを押した後、健一は空を見上げた。灰色の雲の間から、わずかに青空が覗いていた。

「これが、最後のチャンスなのかもしれない…」

健一は決意を新たにし、結婚指輪をポケットにしまった。これから始まる話し合いが、彼らの人生を大きく左右することになる。その重みを感じながら、健一は再び会社のオフィスへと戻っていった。

3. 気まずい空気に 漂う本音 ― 夫婦の対面

数日後、桜木の立ち会いのもと、健一と美咲は向き合った。

最初は気まずい雰囲気だったが、桜木の巧みな進行により、二人は徐々に本音を語り始めた。

美咲は涙ながらに告白した。「寂しかったの。健一さんは仕事ばかりで…私の存在を忘れてしまったんじゃないかって」

健一も動揺を隠せなかった。「そんなつもりは…仕事に没頭しすぎて、大切なものが見えなくなっていたんだ」

桜木は二人の間を取り持ちながら、慎重に話を進めた。

「では、『ムーンライト』というバーに行ったのは?」健一が恐る恐る尋ねた。

美咲は顔を赤らめた。「あれは…ダンス教室の帰りよ。友達と寄っただけ。男性がいたのは事実だけど、みんなでグループレッスンを受けている仲間たちよ」

健一の表情が和らいだが、まだ疑念が残っているようだった。

「でも、なぜ僕に黙っていたんだ?」健一の声には、わずかな苛立ちが混じっていた。

美咲は一瞬言葉に詰まった。「それは…」

桜木が静かに介入した。「美咲さん、正直に話してみてはどうですか?」

美咲は深呼吸をして、決意を固めたように話し始めた。「実は…あなたの関心を引きたかったの。毎日仕事に没頭する健一さんを見て、私も何か打ち込めるものを見つけたいと思って…」

「だからといって、他の男性と…」健一の声が震えた。

「違うの!」美咲は必死に否定した。「確かに、ダンスの相手に男性がいて、楽しい時間を過ごしたのは事実よ。でも、それ以上のことは何もないわ。ただ…」

「ただ、何だ?」健内の目には不安と怒りが混ざっていた。

美咲は涙をこらえながら続けた。「ただ、その時間が、かつてあなたと過ごした楽しかった日々を思い出させてくれたの。そして、今の私たちに足りないものが何なのかを、はっきりと感じたのよ」

部屋に重い沈黙が落ちた。

桜木がゆっくりと口を開いた。「お二人とも、まだ愛情は失われていないようですね。むしろ、お互いを大切に思う気持ちが、このような形で表れているのではないでしょうか」

健一と美咲は、驚いたように桜木を見た。

「健一さん」桜木は穏やかに語りかけた。「奥様の行動の背景には、あなたへの愛情と寂しさがあったのです。美咲さん」彼は美咲にも向き直った。「あなたも、もっと率直に気持ちを伝える努力が必要でしたね」

二人は互いを見つめ、かすかに笑みを浮かべた。

4. デートの灯り 照らす未来 ― 二人の新たな一歩

「これからは、週に一度はデートの時間を作ろう」健一が提案した。

美咲は嬉しそうに頷いた。「私も、あなたの仕事の話をもっと聞きたいわ」

桜木は満足げに二人を見守っていた。「素晴らしい決意です。ここからが新たな出発点ですね」

その夜、健一と美咲は久しぶりに二人で外食に出かけた。美咲が教えてくれたという、こじんまりとした洋食屋。店内は温かな照明に包まれ、静かなジャズが流れている。

「ここ、雰囲気いいね」健一は周りを見回しながら言った。 美咲は嬉しそうに頷いた。「そうでしょ。前から来てみたかったの」

ワインを注ぎながら、健一は美咲の目を見つめた。「最近、君の笑顔を見る機会が増えた気がするよ」 美咲は少し照れたように頬を染めた。「そう?健一さんも、少し柔らかい表情になったわ」

二人は、互いの近況や感じたことを率直に語り合った。仕事の話、家庭のこと、そして将来の夢。会話は尽きることなく続いた。

デザートを前に、健一は真剣な表情で切り出した。「美咲、あらためて言うよ。君と一緒にいられて幸せだ。これからも、一緒に歩んでいこう」

美咲の目に涙が浮かんだ。「ええ、私も同じよ。健一さん、ありがとう」

二人の指が、テーブルの上でそっと重なった。窓の外では、街の灯りがやさしく輝いていた。

食事を終え、二人は肩を寄せ合いながら帰路についた。春の夜風が心地よく頬をなでる。

「ねえ、健一さん」美咲が突然立ち止まった。「少し寄り道していかない?」

健一は少し驚いたが、すぐに頷いた。「いいね。どこか行きたいところがあるの?」

美咲は健一の手を取り、小走りに歩き始めた。「ついてきて」

しばらく歩くと、二人は小さな公園に辿り着いた。夜の闇に包まれた公園は静けさに満ちていた。

「ここ…」健一の目が大きく開いた。

美咲が嬉しそうに頷く。「覚えてる?私たちが初めてデートした場所よ」

健一は懐かしさに胸が熱くなった。「ああ、もちろん。あの日のことは忘れられないよ」

二人は公園のベンチに腰掛けた。頭上では、満天の星が輝いている。

「あの頃は、毎日がときめきと不安でいっぱいだったね」健一が静かに語り出した。

美咲は健一の肩に頭を寄せた。「そうね。でも、あの頃の気持ちは今も変わってないわ」

健一は美咲を抱き寄せた。「僕も同じだよ。ただ、日々の忙しさに紛れて、大切なものを見失いそうになっていた」

「私たち、また初心に戻れたのね」美咲の声には安堵と幸せが混ざっていた。

健一はポケットから小さな箱を取り出した。「実は、君にプレゼントがあるんだ」

箱を開けると、そこには美しい銀のペンダントが。ハートの形をした小さなロケットだった。

「開いてみて」健一が優しく促す。

美咲が恐る恐るロケットを開くと、中には二人の結婚式の写真が。もう一方には、つい先日撮ったばかりの、笑顔の家族写真が収められていた。

「健一さん…」美咲の目に涙が浮かんだ。

「これからも、一緒に新しい思い出を作っていこう」健一が静かに言った。「そして、辛いときも嬉しいときも、いつでもこの写真を見て、僕たちの絆を思い出してほしい」

美咲は無言でうなずき、健一にしっかりと抱きついた。

夜空に、流れ星が一筋。二人の新たな誓いを祝福するかのようだった。

5. 幸せの形 写真に収めて ― 探偵さんへの感謝の手紙

数日後、桜木の事務所に一通の手紙が届いた。中を開くと、健一と美咲からの感謝の言葉と共に、家族で撮った最新の写真が入っていた。

三人の笑顔が、幸せそうに輝いている。

桜木は穏やかな笑みを浮かべながら、その写真を自分のアルバムに大切にしまった。「これこそが、私の仕事の真の成果だな」

彼は窓の外を見やった。梅雨の晴れ間、街には希望に満ちた陽光が降り注いでいた。

手紙には、こう書かれていた。

「桜木さんへ

あの日、不安と疑念を抱えて事務所を訪ねた私たちを、温かく受け止めてくださり、ありがとうございました。

あなたの的確なアドバイスと、寄り添うような姿勢のおかげで、私たちは互いの気持ちを素直に伝え合うことができました。そして、忘れかけていた大切なものを思い出すことができたのです。

今、私たちは以前にも増して強い絆で結ばれています。日々の小さな幸せを大切にし、コミュニケーションを欠かさないよう心がけています。

同封した写真は、先日家族で出かけた時のものです。桜木さんのおかげで、このような笑顔を取り戻すことができました。

本当にありがとうございました。

山田健一・美咲」

桜木は手紙を読み終えると、深い満足感に包まれた。彼の仕事は、時に人々の人生を大きく左右する。その重責を胸に、彼は今日もペンを走らせるのだった。

新たな依頼を待ちながら、桜木は静かに微笑んだ。探偵という仕事を通じて、人々の幸せに貢献できることへの誇りと喜びを、あらためて感じていた。

(完)

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